【108】 【109】 【110】 【111】





【108】



意識を取り戻した時はもう朝になっていた



ゆっくりと覚醒してくる意識の波間を漂っていると
事故の瞬間が蘇り一気に現実の世界へと引き戻された・・



『雛!!』




雛の事が心配で身体を起こそうとして自分の状態に気が付いた




身体には沢山の機械が取り付けられていて酸素マスクもされている
頭を少しだけ持ち上げて確認すると左足にはギプスがはめられていて
天井からぶら下がっている金具に足を乗せられていた




私が目を覚ましたことに気付いた看護婦さんがマスクをはずしてくれた





「美作さん、ここが何処だかわかりますか?」




「・・は、はい・・あの・・」




「痛い所とかありますか?」




「いえ、あの雛は?娘はどうなったんですか?」




「大丈夫ですよ。お嬢さんなら打撲だけの軽症で済みましたので昨夜の内にご主人が連れて帰られましたよ。」




ご主人・・?と言う言葉は気になったがとにかく雛が無事でよかった・・



続いてやってきたドクターに病状を説明されやっと一安心できた



壁に掛けられている時計を見ると短い針は7の文字を指していた



今日は午前中に検査をして問題がなければ午後には一般の病室に移れるとの事だったが・・
これから2ヶ月もの入院生活が始まるのかと思うと憂鬱な気分だった


再びICUで一人になり軽く目を閉じて意識のない間見ていた夢の内容を思い返してみる・・









夢の内容は・・ここ最近見ていた夢とは違っていた・・



子供の頃の夢を見ていたような気がする




女の子は小さな男の子と手を繋ぎながら川沿いの土手のような場所を歩いている




時間は夕暮れ、目の前には怖いくらいに大きくてオレンジ色の太陽が沈んでいく




小さな男の子が女の子を少し見上げながら“ねえちゃん”と呼んだ・・




ねえちゃんと呼ばれた女の子はその子の事を“すすむ”と呼んでいた・・




すすむ君・・・牧野つくしの弟・・・牧野進・・?



会話の内容までは覚えていなかったが服装は覚えている




女の子は小学校の制服を着てランドセルを背負っていた
男の子は幼稚園の制服を着て黄色い帽子をかぶり黄色いカバンを斜めがけにしていた




夕暮れの土手を二人で手を繋いで歩いている・・・



そこで夢の中の場面が急に変わった・・




次は小学校のグラウンド・・・?



女の子はそこで男の子と鉄棒をしている



男の子の名前は・・・えーっと・・あっ!そう、“かずや君”だ!



夢の中の女の子は



『かずや君、がんばって!もう少し!』




かずや君って呼ばれた男の子は



『つくしちゃん〜・・出来ないよ〜』



泣きべそをかきながら女の子の事をつくしちゃんと呼んでいた




体育の時間に一人だけ逆上がりの出来なかったかずや君に付き合って
放課後のグラウンドで鉄棒の練習をしていた



かずや君・・小学校の時、仲の良かった友達なのだろうか・・?



何よりこれは私の記憶の一部なのだろうか・・?



私は記憶を取り戻し始めているのだろうか・・?



だとしても・・どうして全て思い出せないのだろうか・・?
まるでパズルのピースのようで・・記憶が上手く繋がらない・・




ぼんやりと思い出しながら目を閉じているといつの間にかそのまま眠りに落ちてしまっていた・・・










【109】




夕べは泣いている雛と一緒に櫻のベッドで眠った




抱きしめて眠っている雛は夜中に何度も寝返りを打ち、
やっと落ち着いたのは明け方になってからだった



朝7時、眠っている雛をそのままベッドに残して俺は一旦自分の部屋へと戻り
シャワーを浴び着替えを済ませてダイニングへと降りていった




ダイニングでは司が一人コーヒーを飲んでいた




着ているものは夕べのままでワイシャツの胸元を大きく開けている




「よお!お前、寝てないのか?」




「・・あ、ああ・・ちょっとな・・」




「どうしたんだ?」




「・・なぁ・・あきら・・俺はどうすればいい・・?」




司らしくない問いかけだった・・いや、昔の司ならこんな問いかけすらしなかったのに・・




司の考えている事はなんとなく分かっていた・・

この屋敷に来て、櫻の部屋を見て

雛が俺の事をパパと呼ぶのを聞いて迷っているのだろう・・





「じゃあ、聞くけど俺はどうしたらいいんだ?」



「俺が聞いてんだよ!!」



「お前は俺が二人は渡さないって言ったら諦めるのか?
 それに俺だって同じなんだよ・・俺も櫻もどうすればいいのか分からないんだ・・」



「・・そうだな・・分からない・・けど俺はあいつを諦めることなんて出来ない!
 だから相手が誰であろうと櫻と雛は渡さない!!」



「だろ?だけど今は俺達に出来ることは待つことだけだろ?
 櫻が答えを出すのを待つしかないんだよ。」





「・・待つか・・あ〜あ・・苦手だな・・」





司とそんな会話をしていると病院から櫻の意識が戻ったとの連絡が入った



容態は安定していて問題は無いらしい




とりあえず司と二人だけで病院へと向かった



病院に着くと櫻はちょうど検査中だった



その検査で異常がなければICUを出て一般病棟へ移れる



1時間ほど待ったところで検査が終了し櫻がICUに戻り面会が許可されたが
お一人づつでお願いしますと言われとりあえず俺が先に櫻の元へと向かった



「櫻、大丈夫か?」



「うん、ごめんね心配かけて、雛の様子はどう?」



「謝らなくていいよ、お前が悪いんじゃないんだから。
 それに雛も大丈夫だ・・けど夕べはさすがにショックだったみたいで俺が一緒に寝たけどな。」



「そう・・雛は一緒に来てるの?」



「いいや、ちゃんと寝たのが朝方だったからまだ寝てるよ。
 滋と桜子が一緒だから心配するな。」



「ごめんね、みんなも忙しいのに迷惑かけちゃったね・・」




「大丈夫だから、あんまり気にするな。
 それより司が外で待ってる、会うだろ?」



「・・う、うん・・」



「じゃあ、呼んでくる。」




ICUから出て行くあきらの後ろ姿を見送る



先ほどから少しずつ夢の中のパズルが埋まっていく・・




かずや君の名前は青池和也




それにさっき見た夢の中に出てきたのは優紀・・



中学校の修学旅行で京都に行った時の夢・・



京都では自由行動の時間があった




男女混合の5人グループで私と優紀・・後は橋本君と木下君、それにまきちゃん・・



八坂神社などを回って嵐山まで足を伸ばした



嵐山ではトロッコ列車に乗りたかったのだが時間が足りなくて乗ることが出来なかった



みたらし団子とあんみつを食べてお土産に西陣織のハンカチを買った



いつか又、優紀と京都に旅行しようと約束していた・・



優紀と和也君・・今、どうしてるんだろう?
急に居なくなった私を心配してくれているのだろうか・・?




だけど何故?急に思い出しはじめたんだろう?
これから少しずつ全部思いだせるのだろうか・・?














【110】



あきらが出て行ったすぐ後に道明寺さんがICUに入ってきた



あきらが言っていた私だけに向けられる彼の笑顔



優しく微笑みながらも少し緊張した表情で彼はベッドサイドの椅子に腰を下ろした



「大丈夫か?」




「うん、大丈夫、心配かけてごめんなさい。
 お仕事は大丈夫?」




「ああ、仕事の心配はしなくていいから。
 俺にとってはお前と雛以上に大切な物なんてないんだから大丈夫だ・・
 とは言っても一度オフィスへ顔出さなきゃいけねぇーけどな。」




「ごめんなさい、忙しいのに・・」




「気にすんな、何か欲しいものあるか?
 あったら遠慮しないで言えよ。」




「うん、ありがとう・・」




「何回も同じこと言うな。」




櫻が急に話すのを止め俺の顔をじっと見ている・・・




「どうしたんだ?どっか痛いのか?」




「・・えっ・・?!・・あっ・・違うの・・大丈夫、痛くない・・」



「じゃあ、どうしたんだ?急に黙り込んで」




「・・うん・・あのね・・一つ・・聞きたいことがあるんだけど・・?」




「何だ?」




「・・あなたが付けてる香水なんだけど・・」




「コロンがどうかしたか?」




「その香水っていつから使ってるの?」





「これは高等部の頃から同じのを付けてるけど・・
 もしかしてお前、何か思い出したのか?」




身を乗り出し私の腕を掴んでいる彼に軽く首を横に振った・・




落胆している彼には申し訳ないと思うけど
まだはっきりと記憶が戻っていると自覚が無い今、思い出し始めていることを
正直に伝える事が出来なかった




全てを思い出せる保証は何もない・・
ここで止まってしまうかもしれないのに・・





きっと彼は記憶が戻り始めていると知ったら喜んでくれるだろう・・



だけど・・



まだ彼の事を・・彼の事だけじゃないあきらの事だって何一つ思い出せていなのに・・




期待を持たせるような事はしちゃいけないと思った・・




それに気がかりな事がある



記憶を失くす前の私は何を考えていたのだろう・・?



何か心に決めた大切なことがあったような気がしている・・




もし、このまま牧野つくしとしての記憶を全て思い出した時、私は一体どうするのだろう・・?




決して彼の事が嫌いと言うわけじゃない
ただどうしても感じる彼との温度差・・



そんな私の気持ちを見透かしたように伝えられる言葉に感じる戸惑い・・




彼は急がないからと・・いつまでも待ってるからと言ってくれる・・





記憶を無くしてからのこの6年間ずっと考え続けてきた・・
自分の事、雛の事、そして顔も名前も分からない彼の事・・いつまでもこのままじゃいけないのは分かっている・・だけど・・




「期待持たせるような事聞いてごめんなさい。
 違うの・・ただね・・あなたに抱き締められた時にしたコロンの香りが
 ずっと気になってたの・・何だか知ってる香りのような気がして・・・」




「いつ何処で嗅いだ香りなのかは思い出せないの・・・でも高等部の頃からなら
 あなたなのかもしれないわね。」





そう言い終えるとふいに彼に抱き締められた・・というかベッドに寝ている私の上に彼が
覆いかぶさってきた





驚いて一瞬息をするのを忘れてしまう・・・




耳元で聞こえてきた彼の少し掠れたような声・・




『どうだ?何か感じるか?』



言い終えるとすぐに彼は私からゆっくりと体をはずした



「そんな顔するな。分かってるから。」




”何が?”と聞き返そうとした私の言葉を遮るように彼が言葉を繋いでいく・・




「分かってるから、今のお前が俺を愛してないって事。こんな事認めたくないけど、
 それぐらい分かるよ。だからずっと考えてた。」




「何を考えてたの?」



今度は言葉にする事が出来た




「どうすればお前と一緒に居られるかってずっと考えてた。
 何度も雛を口実に無理矢理にでもお前をN.Yに連れて帰ろうと思った。
 雛は俺の娘なんだから本当の父親と一緒にいるのが一番だって言えばお前は俺の所に
 来てくれると思った。だけど、それじゃぁダメなんだ。俺はもう一度お前にちゃんと愛されたいんだ。
 俺はお前と雛の三人で幸せになりたいんだ。」




「何年だって何十年だって待ってる。俺はもうあの頃には戻りたくない。
 お前を見失ってN.Yで一人、寂しくて、もう二度とお前に会えないんじゃないかって
 怖くてどうしようもなかった。もうあんな思いはしたくない。」
「大丈夫だ、俺はお前に関しては気長いから。」




「・・ありがとう・・」




彼は私の心の中などとっくにお見通しだった・・




彼は自分が愛されていない事を分かっていながら毎回、電話を切るとき私に愛していると伝えてくれていたんだ・・





それなのに私は・・




今ほど思い出したいと思ったことはない・・一分でも一秒でも早く全てを思い出してしまいたい・・・




「大丈夫か?」




何処までも優しい彼の声に思わず涙が零れそうになる




「うん、大丈夫。」




「少し休め。」




「ありがとう。」




私は再び目を閉じ浅い眠りにつく





夢はすぐにやってきた・・・今度の夢は・・・




何処だろう・・?私は軽い足取りで階段を駆け上がっている




階段を登りきってしまう少し手前で歩調を緩め顔を上げると・・そこには・・花沢さん・・?




非常階段の踊り場に腰を下ろし壁に凭れて居眠りをしている彼を見つけて私の顔に笑顔が浮かんでいる・・




そっと彼に近づき顔を覗き込む・・・伏せられた瞼に通った鼻筋・・間近で見ると本当に綺麗な顔してる




髪は陽の光に反射して金色に輝いてるし、何より小さな顔・・うらやましい・・・




そう思ってじーっと彼の顔を覗きこんでいたら急に彼が目を開けた・・
至近距離で彼と目があい照れて真っ赤になるのが分かった



慌てて彼から離れようとしてバランスを崩した私は後ろへ大きく尻餅をついてしまった・・
そんな私を見て彼はお腹を抱えて大笑いしている・・・




『プックックッククク・・あんた、おもしろすぎ・・』




彼の言葉に真っ赤になったままの私が言い返した・・




『もう!花沢 類!笑いすぎ!』




”花沢 類”・・?私・・彼の事フルネームで呼んでたの・・・?




怒りながらも彼の横に腰を下ろした私・・特に何か会話をしているわけじゃない・・


二人の間にあるのは沈黙・・だけど嫌な感じがしない・・むしろその沈黙を心地よく感じている・・



特に言葉を必要としない関係・・




言葉を交わさなくても彼は私の事を分かってくれている・・・




彼といると安心できる・・・




穏やかな沈黙が支配する非常階段で再び目を閉じ転寝を始めた
花沢類の横で彼に凭れかかる様にして私も眠りについた













【111】


お昼前には全ての検査の結果が出て、特に問題は無かったので一般の病室に移る事が決まった



ベッドごと病院内を移動して最上階の静かなフロアーへと移動する



私の病室だと案内された部屋に入って驚いた・・・




『す、すごい・・・』





病院じゃないみたい・・部屋に置かれているもの全てが
暖かみのあるアンティーク調で統一されていて・・・どこかで見た事のある雰囲気・・・




「あっ・・・・!」





思わず声に出てしまった・・・




この部屋・・私の部屋に似ている・・・




ソファーもサイドボードも置かれているランプまで・・・
私の部屋にある物と全く同じ・・・





声を出した私に付き添ってくれていたあきらがそっと教えてくれた





「すごいだろ?これ全部、司が用意させたんだぜ。」





「道明寺さんが・・・?」





「ああ、少しでも普段通りに過ごせるようにって大急ぎで準備させてたぞ。」






「・・そう・・なの・・ねぇ、ありがとうって言っておいてくれる?」





「後で自分で言えよ、呼んできてやるから。」





「う、うん・・今、雛はどうしてるの?」





「司達と一緒に近くのカフェで待ってる。滋と桜子も一緒だから大丈夫だよ。」





そう言いながらあきらはそっと私を抱き上げベッドからベッドへ移動させてくれた




窓辺に置かれている花瓶にはバラが活けられている・・





「お花も持ってきてくれたの?」




「ああ、屋敷の庭に咲いてたやつだ。雛がママは庭のバラが大好きだからって言って持ってこさせたんだ。」





「そう、じゃぁ雛にもお礼言わなきゃね。」





「そうだな、そろそろみんな呼んでくるよ。」





「あっ・・うん・・あきら、少し待って。」





あきらに確かめたい事があった・・・・




「少し話したい事があるの。」





私の言葉にあきらは私のベッドのリクライニングを起こし、自分はベッドサイドに置いてあったイスに腰を下ろした





彼が座ったのを見届けると私はゆっくりと夢の話を話し始めた・・





「私、夢を見たの・・・」





「どんな夢だったんだ?」




「・・非常階段が出てきた。」




「英徳のか?」





「そう、この前、あきらが連れて行ってくれた所・・」






私はさっき見た夢の内容をあきらに話した

そして優紀と和也君の事も・・・







いきなりの事にあきらは黙ったままじっと私の話しを聞いている





「私、花沢さんの事・・花沢 類って呼んでたの?」





「あ、ああ・・お前は類の事フルネームで呼んでた・・・
 類の事を花沢 類って呼ぶのはお前だけだった。それ以外には何か思い出したのか?」





「ううん・・まだ何も・・非常階段が出てきて二人でお昼寝してる夢だけ・・」






「・・そうか・・・」






「ねぇ、あきら?
あきらは優紀と和也君って知ってる?私と仲が良かったと思うんだけど・・?」





「ああ、知ってる。優紀ちゃんとは学校が違ったけどバイト先が一緒だったし、俺達とも仲が良かった。
和也は英徳に通ってた、和也はお前の事が好きだったからいっつも”つくしちゃ〜ん”って
お前の後ろを小判鮫みたいにくっ付いて歩いてたよ。」







「二人に会いたいか?」







「うん・・会ってみたい・・んだけどね・・・私、まだ実感が無いの。
 自分が牧野 つくしだったって分かってるんだけど・・記憶が戻り始めてるのも分かるんだけど・・
 思い出した記憶もパズルのピースみたいでなんだか上手く繋がらなくて・・」
「自分の記憶なんだけどどこか他人事みたいで・・美作櫻と牧野つくしが上手く重ならないの。」






「・・そうか・・分かった・・焦らなくてもいいから。
 今まで何も思い出せなかったんだから上出来だよ。これから少しづつそのパズルを埋めていけばいいよ。
俺も協力するしみんなもついてるから大丈夫だから。」





「ありがとう。」





「今の話し司達にしてもいいか?」





「うん・・隠しとくわけにはいかなしね・・でも、私このまま全てを思い出せるかどうか分からないの。
自信もないし・・だから道明寺さんに期待持たせるのも悪いかなっとも思ってる。
 もちろん全てを思い出したいと思ってるけど。分からないの・・」





「それはみんな分かってるよ。司の事は大丈夫だから心配するな。あいつは強い男だから。
 それから和也は俺が連絡してみる、優紀ちゃんは滋達が連絡先知ってると思うから頼んでみる。
 二人共、都合がつけば会えるようにするから。」





「うん・・お願いね。」







「ああ、大丈夫だから、お前は何も心配するな。」












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