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【116】






あんまり長居すると疲れるからとみんなが帰ってしまった後、

ぼんやりと窓辺に置かれているバラを眺めていた



目を閉じるとフラッシュバックのように脳裏に浮かんでくる映像と同時に

流れ込んでくるさまざまな感情に心がついていけない・・





どうして彼だけ出てこないのだろう・・?



どうして彼だけ思い出せないのだろう・・?




私は思い出したくないのだろうか・・?





ぼんやりと窓の外に目をやり流れる雲を眺めていた・・




いつの間にか眠ってしまっていたらしい、

夕食を運んできてくれた看護婦さんに起こされてやっと目が覚めた


何か食べなきゃいけないのは分かってるけど食欲はないし、

夕食だと言って出された物は検査の結果、

胃の調子が良くないので固形物は一切無しのスープのようなお粥のみ・・




目の前のトレーを眺めるけどいっこうに食欲なんて湧いてこない

だけど薬を飲むために無理やり半分ほど流し込んだ・・













仕事を終え屋敷に帰る前にもう一度、櫻の病室へと立ち寄った



ベッドへ近づくと彼女は安らかな寝息を立てて眠っていた



ベッドサイドの椅子に腰を下ろし、布団から出ている手にそっと触れてみる



柔らかく暖かなその指先はもう何年も

夢の中でしか触れることの出来なかったもの




何度も恥ずかしがるお前の手を無理やり繋いで歩いたのに・・


何度もこの腕で抱きしめたのに・・


記憶と共に失ってしまったぬくもり・・



記憶が戻った後も温もりだけは戻ることがなく



夢の中では確かに感じる温もりも朝、目覚めと同時にやってくる孤独も


全てが俺にとっては牧野つくし一人だった・・



次第に夢の中で感じる温もりだけでは目覚めている間の

孤独感を埋められなくなっていた




徐々に厚くなっていく心に張った氷はもう夢の中の

お前だけじゃ溶かす事が出来なくて・・



心に渦巻く全ての感情がお前だけに向けられていて・・



俺の全てを支配しているのは牧野つくしだけ・・



時間が経つほどに夜が怖くなって、夢を見るのが怖くなって・・



苛立ちのだけが俺の中で生まれてくる唯一の感情になってしまった



どんなに探してもお前が見つからなくて



本当は初めっから牧野つくしなんて存在しなかったみたいで・・



苛立ちと怒りが抑えきれなくて



昼間はまだマシだった・・

大学に通う事や仕事をする事でなんとか気を紛らわせてきたけど



夜、あの広い屋敷で一人になるとどうしようもなくなって



目の前にある物かたっぱしからぶっ壊して、

近寄ってくる奴を手当たりしだい殴りつけて・・



それでも治まらなくて・・・



自分まで傷つけて・・・暴れるだけ暴れまくって



最後は気を失ったように眠りに付く



そんな日々の繰り返しだった・・



もう、あんな毎日に戻りたくない・・



やっと見つけたぬくもりに生きている事を実感できたんだ・・



だから頼む・・俺の事も思い出してくれ・・




俺を消したままにしないでくれ・・



眠ったままのお前の手を握り締め、甲に口づけを落とす



閉じられたままの瞼が時折、痙攣するように動いている



今度はどんな夢を見てるんだ?




そこに俺はいるのか?









【117】






入院生活も1週間2週間と過ぎて行くと退屈の一文字に尽きる・・




足を骨折している以外は全て正常の身体を一日中ベッドに縛り付けておくのは

結構、精神的に重労働だ・・





毎日のように誰かしらが入れ替わり立ち替わり病室を訪ねてきてくれるけど





外に出たい・・自由に歩き回りたいという衝動を誤魔化すことは出来ない・・





なので少し早いけれど松葉杖で歩く練習を勝手に開始した




まずは病室の中から




入院してからベッドから降りるのは洗面所に行くぐらい




それだって部屋に備え付けてあるし




誰かに車椅子に乗せ換えてもらって連れて行ってもらうだけ




自分の力なんて全く使っていなかった・・




当然、怪我をしている左足だけではなく右足の筋力も落ちてくるし腕の力だって




元々、腕力には自信はあるほうだけど自分の身体を腕だけで支えて





前に進むのにはかなりの力とコツが必要になってくる





我が儘を言って大急ぎで作ってもらった私専用の松葉杖で歩行訓練開始




少しづつだけどなんとか歩けるようになってくると





こんどは外に出たい欲が出てくる




廊下に出て端から端まで歩く練習を重ね




自分ひとりでかなりこなせるようになってきた




そうなると次は建物の外に出たくなる・・




さすがにこれはOKは出なかった・・







そして記憶の方は相変わらずで思い出したり思い出さなかったり




その日々で違う





それにタイミングも自分では全く分からない





眠っている時に夢に見ることもあれば




食事をしている時だったりお見舞いに来てくれた

滋さん達と話しをしている時だったり





時間の流れも曖昧で思い出しそれを年表のように

時間通りに組み立てるという作業を繰り返している





花沢類は静さんの後を追ってパリに行ったのよね・・?




一体、いつ帰ってきたの?




静さんはパリに住んでいるでしょ・・花沢類とはどうなったの?





そもそも私はどうしてF4に赤札を貼られたわけ・・?




私、何かしたの?




理由は分からないけど・・

和也君と一緒に学校中を逃げ回っている所を思い出した・・






そしてここ数日は特に幼い頃の事をよく思い出している





昔・・社宅に住んでた・・?





ママもパートに出てたから小学校が終わるとその足で

保育園に通っていた進を迎えに行って





二人で家路についていた・・




貧乏だったけど楽しかった・・





大好きだった・・








広すぎる病室のベッドで一人、記憶という名のパズルを組み立てていると



やっぱり気分が滅入ってくる・・




思い出して上手く組み合わされると嬉しいけれど




それ以上に自分が忘れてしまっていた物の大きさ、

時間の長さが想像以上に大きな波となって私に打ち寄せてくる





こんな日はここに一人で居たくない・・





松葉杖も上手く操れるようになったし少しだけなら大丈夫よね・・?



そう自分に言い訳してこっそりと中庭に出た









【118】




松葉杖をつきながらガラス戸を押して中庭へと出た




いいお天気で木々が植えられている中庭には鳩やすずめなどが沢山、
ひなたぼっこをしている



鳥達に混ざって私もベンチに腰を下ろしてひなたぼっこ




しばらく足元を戯れている鳥達を目で追いかけながら
ぼんやりとしていたけど




今まで快晴だった空に雲が流れ込み風も強くなり始めた




夕立でもくるのかもしれない





それにあまり病室を空けていると看護婦さんに見つかったら大変だから




そろそろ病室に戻ろう・・




そう思って松葉杖を頼りにベンチから立ち上がり




ゆっくり病院の中へと戻っていく





病室に戻りベッドの上でしばらく雑誌を読んでいた



最初、音に気付いた・・




ポツポツと窓を叩く音で・・



視線を窓の方へと向けると




今ぶつかったばかりの雨粒が先を競うように下へと流れ落ちていく・・



膝に置いていた雑誌を脇に置き目を閉じる




音だけの世界で窓に打ち付ける雨音が少しづつ大きくなってくる



雨は嫌い・・




理由は分からないけれど・・




雨が降っているとなんだか切なくて・・


苦しくて・・



まるで泣いているみたいで・・



嫌い・・・










仕事の途中でも時間を見つけては櫻の病室をたずねていた



今日も得意先での会議が終わりオフィスへ戻る途中

あいつの病室に立ち寄ることにした




病院の近くまで来た時ポツリポツリと雨が落ちてきた



雨は嫌いだ・・



どうしてもあの雨の日を思い出してしまう・・




どしゃぶりの雨の中・・


去って行くあいつの後ろ姿と立ちつくすだけの俺・・



ガキだった・・


どうしようもなくただガキだった・・




何一つこの手で守ることが出来ず




流れに抗えば抗うほどあいつとの距離が離れて行ってしまう




あの雨は止んだのだろうか・・?




いや・・止んでなどいない・・





今もまだ何処かで降り続いているあの雨




あの時の牧野の姿と今の櫻の姿が雨の中・・




煙る景色の向こうにシンクロする・・




亡霊のように蘇った情景を心の奥底に押し戻すかのように目を閉じた












【119】




シートに深く腰を沈め目を閉じていると

向かい側に座っていた秘書が遠慮がちに口を開いた




「司様、もうあまりお時間の方が残っておりませんが・・」




閉じていた目を少しだけ開き目の前に座る秘書に視線を送る




「後、どれぐらいだ?」




「次の会議が16時からの予定ですので後、20分少々が限界でございます。」




腕時計を確認すると時刻は現在、午後2時30分を少し回ったところ



櫻の病院からオフィスまでは早くても30分は掛かってしまう距離




彼女の病院までは後、信号4つ程の距離、視界にはもう入っている


幸い目の前の信号は赤だったので




「ここで降りる!」



短くそう言い残し慌てて傘を差し出そうとする

秘書を無視して自分でドアを開け雨の中飛び出した




後ろで何やら叫んでいる秘書の声を受けながら

点滅し始めていた横断歩道を一気に渡りきった




雨を裂くように走り病院へと駆け込むとエレベータの中で

上がった息を整える



彼女の病室の前でもう一度、軽く深呼吸してからノックをする


中からは少し間を置いて彼女の声が聞こえてきた



笑顔で病室へ一歩踏み込むとこちらを向いていた櫻と目が合った



いつもなら”よお!”と声を掛けると優しく微笑み返してくれる

彼女だったが今日は何処か様子がおかしい・・




目を見開いたまま瞬きもしないで険しい顔で俺を見つめている



そんな彼女の姿に動けなくなる・・



もしかして思い出しているのか・・・?



俺の事、思い出してくれているのか・・・?







ゆっくりとベッドに近づき彼女の頬に手を触れると

驚いたように一瞬ビクリと跳ねた・・・




「櫻?どうしたんだ?」




なるべく優しくゆっくりと声を掛けようとするのだが

擦れて上手く声が出ない・・





そんな俺の顔をじっと見ていた彼女は頬に触れたままだった

俺の手を自分の両手で包み込むと目を閉じ大きく息を吐き出し




「・・やっと・・やっと見つけた・・」




吐息と共に吐き出されるように零れた言葉




「・・お、おまえ・・思い出したのか・・?俺のこと・・・」




再び櫻の口元から吐息が零れ落ち俺の手を包み込んでいた

片手を放すと今度は俺の髪にそーっと触れた・・



「・・やっと見つけたあんたの事・・ごめんね・・長い間・・」




そう言い終えた瞬間、彼女の瞳から涙が零れ落ちた


俺は・・俺の髪に触れていた彼女の腕を掴み引き寄せると

彼女を胸の中にしまいこむ様に抱き寄せた



しばらく俺の胸の中で嗚咽を上げながら泣く彼女の背中を撫でていた・・


















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