【9】





牧野が目を覚ましたのはそれから3日後の事





その間、俺は学校には行っていたがまだ牧野が居なくなったことには



誰も気付いていなかった。








牧野が目を覚ました日・・





その日からが本当のスタート








否応なしに俺の人生が動き始めた







その日、大学から戻ると、牧野は意識を取り戻し今野医師が呼ばれていた。






リビングで診察が終わるのを待っている俺を慌てた様子のメイドが呼びに来た





牧野の部屋に入ると何故か牧野が興奮して泣きじゃくっていて、




その横ではお袋も泣きながら必死で牧野を落ち着かせようとしていた






その普通じゃない状況に慌てて牧野の元に駆け寄る俺に今野医師が言った言葉は…











ハンマーで頭をおもいっきり殴られたような衝撃だった。







最初、今野医師の言っている事が上手く理解できなかった







「あきら君、どうやら彼女は全ての記憶を失ってしまっているらしい。
 こうなると私の手には負えないので、ちゃんとした専門医を紹介するよ。
 きちんと診察を受けて判断した方がいい。ただ、今は彼女自身がかなり混乱している
 状態だからとにかく落ち着かせて、子供の事もあるので早い方がいい。」





何・・??




今、記憶が無いって言ったよな・・・?





何言ってんだ?記憶が無いのは司だろ・・?







それにどういう事だよ?全ての記憶が無いって・・・?






自分が誰なのかも分からないってことか?





どうしてこいつばっかりこんな目にあうんだ・・・?





どうしてこいつばっかりこんな辛い思いしなくちゃいけないんだ・・・・?







泣きじゃくっているあいつを見てたらたまらなくなって




気がつくと抱きしめていた








ずっと『大丈夫だから』って言ってたような気がする・・








そうだ俺がしっかりしないと・・・







なにがあっても俺が守ってやるから・・・







だからもう泣かないで・・・





俺がいるから・・・





だからもう傷つかないで・・・





しばらくして泣きつかれたのか牧野は眠ってしまった









【10】








眠ってしまった牧野をメイドに頼み、詳しい診断結果を聞くためにリビングへと場所を移した






これから先、問題は山積みだった・・・・





頭の中ではさっきの今野医師の言葉がこだましている






「先生!一体どういうことなんですか!」








「まぁ、まぁ、あきら君、少し落ち着いてくれないか。
 まず、牧野さんの体だが熱も下がったし、意識もハッキリしている
 のでもう問題はないだろう。後は栄養のある物をきちんと取って
 体力を回復させるだけだ。
 そして、記憶のほうだがね・・」






そう言うと今野医師は少し表情を曇らせた





「こちらの方がやっかいかもしれない。私も専門外なので迂闊に判断出来ないが、
 この記憶喪失は一過性の物かもしれないし、そうじゃないかもしれない・・」







「それは…、このまま記憶が戻らない可能性もあるということですか?」







「専門医に診察してもらわないと分からんがね。記憶の方は彼女次第だと思う。
 もしかしたら次に目覚めたら思い出してるかもしれんしね。
 とにかく今、君がしなきゃいけないことは一刻も早く専門医に見せることだ。」







「はい・・」








「それからこれは、もし彼女が記憶を失ったままだと仮定しての話だが、
 彼女は今、普通の体じゃない。自分の名前すら覚えていない彼女が
 妊娠している事を覚えているとは考えにくいんだ。
 あきら君、君はまず彼女に妊娠している事をしっかりと自覚させて
 絶対にムリはさせない事だ。いいかね?」







「わかりました。」







「よければ少し、彼女の事を教えてくれないかね?
 話の内容によっては紹介する医師を考えなおさなければならないからね。」









俺はここ数ヶ月、彼女の身に起こった事をすべて今野医師に話した。








「牧野 つくしは現在、英徳学園の2年生で、17歳です。」








「英徳学園・・じゃぁ彼女もどこかのお嬢様なのかね?」







「違います。牧野は両親と弟の4人家族で、父親は普通のサラリーマンです。
 牧野は普段、アルバイトで生計を立てていました。
 それから、牧野のお腹の子供の父親は道明寺 司です。」








「道明寺・・って、あの財閥の・・かね・・?」







「そうです。」







「はぁ〜、またすごい名前が出てきたもんだな。」






今野医師は俺から道明寺の名前を聞くと顎に手を当てて少し考え込んでしまった。



俺はそんな今野医師に構わず話しを続けた






ここからが本題だった








「先生は司が刺された事件はご存知ですよね?」







「ああ、知ってるよ。
 TVなんかで大きく報道されていたからね。」










「司は現在、刺された後遺症で記憶の一部を失っています。
 正確には牧野つくしの事だけ忘れてしまっています。
 それに現在、司は別の女性と付き合っていて、牧野が妊娠している事は知りません。
 それどころか司は彼女が同じ部屋にいることすら許していません。
 牧野が近付けば口汚く罵って追い返してしまうような状態です。」







「お互いが覚えていないのか・・悲しい事だ・・な・・」







「はい・・、それから、もう一つ、これが一番の問題なのですが、
 司のお袋さん 道明寺 楓は牧野の事を良く思っていません。
 以前からあらゆる手を使って二人を別れさせようとしています。」








「そうか。だとしたら何としても彼女の事は知られてはいけないな。
 分かった。だがね、あきら君、産婦人科の方は往診でもなんとかなると
 思うが、記憶の方は検査が必要だろうからどうしても一度は病院に
 出向かなくてはならないと思うんだ。
 私の大学時代の同期の男で個人病院を経営している男がいるんだがね、
 人柄も誠実で信頼出来る、道明寺家との繋がりもないはずだから
 人目に付かないよう、診察が受けられるように手配しておくが、
 それで構わないかね。」





「よろしくお願いします。」







あきらは再度、頭を下げた





「うむ、分かった。あきら君、これからが大変だよ。
 しっかり彼女を支えてあげてくれ。」








「はい」







今野医師は牧野には最低限の情報を伝えるようにと言い残し帰っていった









はぁ〜







お袋が今野医師を見送るためにリビングを出て行った、





俺はその後姿を見送りながら、堂々巡りを繰り返す思考と戦っていた





これからどうすればいいんだ?







俺に何が出来るんだ?











【11】









今野医師を見送ったお袋が再びリビングに腰を下ろした




お袋の表情もさすがに硬い







「あきら君、つくしちゃんをどうする気なの?」







「・・分からない・・けど、あいつをこのまま一人にしておくことは出来ない。」







「そうね。何があったのか分からないけど。全部忘れてしまうほどショックな事が
 つくしちゃんの身に起こったのね・・・かわいそうに。」







「なぁ、あいつもうしばらく家で預かってやってくれないか?」







「分かってるわ。心配しないで。」







「悪いな、よろしく頼む。」







「フフフッ・・・ねぇ、あきら君はいつからつくしちゃんの事が好きなの?」







「・・さぁな・・、いつからだろうな・・・?」







そう答えた俺にお袋の顔は今まで見た事がない程、母親の顔をしていた





お袋でもこんな表情できるんだな・・







「あきら君、司君の為にもつくしちゃんをちゃんと守ってあげてね。」







「ああ・・・」







「ママはもう一度つくしちゃんの様子見てくるわね。」






「えっ、あ、ああ・・いや、いい 俺が行く。」







「そう、じゃぁお願いね。でもお腹の子供にさわるといけないから
 あまり興奮させちゃダメよ。」








「ああ・・分かってるよ。」







お袋をリビングに残し、俺は一人で牧野の部屋へと向かう






長い廊下を歩きながら、目を覚ました牧野の記憶が戻っている事を祈っていた












【12】



つくし






ゆっくりと意識が覚醒してくる。





目を開けると見慣れない天井が目に映る・・・・









ここは、どこ・・・・・?















誰かの声がする・・・女の人・・・やさしい声・・・・・誰?






「あっ・・目が覚めたのね。よかった。
気分はどう?つくしちゃん。」







「・・・えっ・・・?」






声のするほうへ顔を向けると・・・・





綺麗な女の人が私の顔を覗きこんでいる








「すぐに先生が来てくださるからね。
 診察してもらいましょうね。」








「・・・診察・・・?私、病気なの・・?」








「そうよ。つくしちゃん、熱が高くて4日間も眠ってたのよ。」








「・・熱が高くて・・・4日間・・?
 あの・・・つくしちゃんって・・誰の事ですか?あなたは誰ですか?
 ここは何処ですか?」








「・・・・えっ・・・・?つくしちゃん・・・・・何、言ってるの・・・?
 ねぇ、あきら君のママよ!憶えてないの・・・・・??」








「・・・つくしって・・私の事・・・・ですか?
 あの・・あきら君って誰・・・・ですか?」








「そ、そうよ、つくしちゃん、何言ってるの?
 冗談よね?混乱してるだけよね?ねぇ、自分の名前言ってみて?」







「えっ?・・・名前・・・私の・・名前・・・・って・・・・・?
 ・・何・・・?・・・・・分からない・・・・どうして?
 分からない・・・・・あの・・私の名前って・・・何ですか?
 ・・あの・・教えてください。私は誰なんですか?」







混乱しているつくしがだんだんと興奮し始めた・・・・




慌てて落ち着かせようとするけど私の声もつくしちゃんには届いていない、



しゃくりあげるように荒い息をしながら泣いている彼女を思わず抱きしめていた







「だ、大丈夫よ・・・つくしちゃん、落ち着いてちょうだい。
 すぐに先生に診てもらいましょうね。
 大丈夫だから、安心して・・・」












どうして・・・?私はダレなの・・・・?




ここは何処なの・・・・・?







不安で心細くて涙が止まらない・・・・








ふいに誰かに抱きしめられた・・・・





私を抱きしめたのは男の人・・・







抱きしめられながらずっと









大丈夫だから・・と、








やさしい声を聞いていた・・・・・













何が大丈夫なの?






何も思い出せないのに、どうすればいいの?












【13】








部屋に入ると牧野は目を覚ましていた




上体を起こし、ベッドの背にもたれ掛かりぼんやりと金色の月明かりに




照らされるている窓の外を眺めていた




そんな彼女の横顔を本当に綺麗だと思った





牧野を驚かせないように、ゆっくりと彼女に近付きやさしく声を掛ける







「大丈夫か?」






俺の声に少しだけ肩をビクンと反応させてこちらに振り向いた



牧野の瞳には不安の色が浮かんでいた








「・・あ、あの・・わたし・・?」







今の一言で牧野の記憶が戻っていないことが分かった





俺はゆっくりとベッドサイドに置かれていた椅子に腰を降ろした






「少し話しよっか。」






「は、はい・・・・。」






真っ直ぐに瞳を見つめながら少しづつ




牧野が混乱しないように言葉を繋いでいく








「まず、俺の名前は美作あきら、そして君は牧野つくし。」








「私の名前・・牧野つくし・・?」








「そう。そして俺達は友達だった…っていうか今もそうだけど。」







「・・ともだち・・・?私とあなたが・・・?
 ・・ご、ごめんなさい、私、何も覚えてなくて・・・
 私、どうしてここに居るんですか?教えてください。お願いします!」








話をしながら牧野がまた興奮し始める



体調が万全でない彼女は少し話をしただけですぐに息が荒くなり、




肩が大きく上下に揺れて、表情は苦しそうで瞳には一杯に涙を溜めている。










「分かった、今から説明するから、落ち着け、そんなに興奮するな。
 大丈夫だから。頼むから、興奮しないでくれ・・」







彼女を抱きしめながら俺は今から彼女に告げなくてはいけない事を整理していた







少し牧野が落ち着きを取り戻したのを確認すると






俺は牧野からの質問をゆっくりと彼女がちゃんと理解出来るよう説明する










「まず、道端にうずくまってたお前をここに連れてきたのは俺だ、
 雨に打たれたみたいでびしょ濡れで熱を出して4日間意識がなかった。
 それから、家族の事だけどちゃんと居るよ、両親と弟がね。
 お前の両親には家で預かってるって事は伝えてある。
 でも、まだ意識が戻った事は伝えてない。」




「最後の質問だけどな、何でこんな事になったかって、だいたいは俺にも
 分かってるけど、俺の口からは説明出来ないんだ、この事はお前自身が
 思い出さないと何も解決しないからな。
 但し、ムリに思い出そうとはするな、絶対に。」



「それから、今から話す事が一番 重要だ、落ち着いてちゃんと聞いてくれ。」





「・・は・い・・」





彼女は小さくコクリと頷いた











「お前は今、妊娠しているんだ。」











「へっ・・・・!?」









妊娠してるって。赤ちゃんがいるってことよね・・?






つくしは無意識の内にお腹に手をあてていた










「今、だいたい6〜7週目ぐらいだって先生は言ってた。
 だから、一度産婦人科の先生に診てもらおうな。」








「あの・・妊娠してるって・・・本当なんですか・・・?
 私・・・何も覚えてなくて・・・相手の人って誰なんですか?
 美作さんは知ってるんですか?」








「知ってるよ。だけど俺から教えるわけにはいかないんだ。
 記憶はお前自身が思い出さないと意味が無いから。
 だからって焦って無理に思い出そうとするなよ、お腹の子供に障るといけないからな。」








「・・あ、相手の人は・・知ってるんですか・・私が妊娠してるって事・・?」








「いや、知らない。お前が妊娠してる事も今ここに居ることも知ってるは俺だけだから。」









「そ、そうですか・・あの・・美作さん。」









「あきらでいいよ。なんかかたぐるしいし。」









「・・あきらさん、私、明日ここから出て行きます。
 これ以上あなたに迷惑をかけるわけにはいかないから。」








「オ、オイ!何言ってんだよ、お前、今の俺の話聞いてたのか?
 それに、記憶の無いお前がここを出ていったいどこに行くんだよ。
 腹には子供だっているんだぞ。」










「・・・それは・・・私には両親もいるし・・それに・・
 これ以上、迷惑を掛けるわけにもいかないし。
 それに、あきらさんは私の事を友達だって言ったけど
 私、何も覚えてなくて、ごめんなさい・・」









彼女の目から涙が零れ落ちた










「いいか、俺にとってお前はすごく大切な存在だったんだ。
 お前が俺達みんなを変えてくれた、だから記憶が無いくらい
 なんてこと無い、ゆっくり思い出していけばいいんだ。
 記憶が戻るまででいいから、俺の為にここに居てくれないか?」









「あきらさんの為に・・?」








「そうだ、俺のために・・だ、どうだ、ダメか?」








「・・い、いいえ・・ダメじゃないんですけど、本当にいいんですか?」







「ああ、俺がそうして欲しいんだよ。」







そう言うと牧野は少しホッとしたように微笑んだ。









俺は微笑んだ彼女を見て安心した









「ありがとう、さぁ、今日はこれぐらいにしてもう休め。
 明日、産婦人科の先生が来てくれるからちゃんと見てもらって、
 体力が回復したら記憶の方も専門の先生に診察してもらおうな。」









「・・・・・はい。あきらさん・・・ありがとう・・」









「どういたしまして。
 眠るまで側にいるから、安心して・・・」









ゆっくりと目を閉じた牧野の頭をなでながら明日からの事を考えていた。








牧野は薬のせいかすぐに眠りに落ちた・・・




寝顔だけ見てると記憶が無いようには見えない穏やかな寝顔だった




これから先の事を考えると気が遠くなる・・・・・









やっと長い一日が終わる







だけどそれはこれから始まる長い長い道のりの最初の一日が終わったに過ぎなかった






















←BACK/NEXT→
inserted by FC2 system