霞む道の向こうに見えるもの・・

霞む道の向こうに見えるもの・・ 首筋に纏わりつくような湿気と太陽が昇り始めると同時に始まる 蝉たちの大合唱 陽炎にゆがむアスファルトにTVの天気予報では今年3つ目の台風が 沖縄地方を勢力を強めながら北上していると伝えていた そんな都会の喧騒など関係なくいつもと変わりない ゆったりとした時間が流れている屋敷には 人の営みなど存在していないかのような静寂に包まれている そんな屋敷の中で庭にあるししおどしだけが まるで生あるもののように響いていた 真夏の午後、18年ぶりに蘇った亡霊のような過去に 心の奥底にしまい込んでいた記憶を呼び起こされる 決して忘れていたわけじゃない あの悲しみと苦しみを 悔しさに血が滲むほど口唇をかみ締めていた親友の姿が目に浮かぶ もし互いに生を受けた場所が違っていれば間違いなく人生を共に 過ごしていた二人がしっかりと繋いでいたはずのその手を離さなくては ならなかったのは運命だったのだろうか? ただ運命だと言うのならば神はどうしてその後の人生に救いを与えなかったのだろうか? 運命という言葉で片付けられてしまうにはあまりにも残酷だった あの男は他者に救いを求めるような奴じゃない ただその燃え滾る想いを強靭な精神力で押さえ込みながらも 一方では一刻も早い人生の終焉を望んでいる 一切の楽しみを棄て 生き急ぐようなその生き方だけが心の内を誰にも明かそうとしないあいつの真実を語っている 時折、耳にする遠く海の向こうの親友の噂 もう親友を救えるのはあいつしかいない・・ だけどあいつはもういない・・ 18年前、遠距離恋愛中の二人の関係は司の政略結婚という形で幕を閉じた あまりに突然に訪れた終焉に立ち尽くすしかなかった俺達は 舞台の真ん中に一人取り残されたあいつにかける言葉さえ持ち合わせていなかった ただ彼女の哀しみと苦しみが少しでも早く癒える事だけを祈っていた・・ あれから18年 彼女の苦しみは癒えたのだろうか? 今、彼女は幸せなのだろうか? 気がかりだったがそれを確かめる術は持っていない ただ心の中で密かに願い続けるだけの日々 それでも俺は諦めたくはなかった 自分自身の人生を・・そして俺に続く未来の者達のために 諦めるわけにはいかなかった その思いを実行に移すため司が政略結婚した翌年 俺はあいつの親友だった優紀と結婚した 賛成され祝福されただけの結婚ではなかった 慣れない環境で苦労している妻を見て 俺なんかと結婚などしなければもっと別の 穏やかな楽しい人生が待っていたんじゃないかと思った事もあった だけど17年たった現在、二男一女を儲け 穏やかで幸せな生活を手に入れた 長男は15歳、今年から英徳の高等部に通っている 次男は10歳、長女は7歳、共に英徳の小学部に通っている 変わったことと言えば英徳も変わった 私立の学校の中でもかかる費用は大きいが それでも俺達の頃のような一部の金持ちだけが 通えるという特別な学校では無くなっていて そして以前は考えられなかったのだが スポーツにも力を入れている 中でも男子バスケットチームは都内でも5本の指に入る 強豪チームになっていた 長男の大樹は小学部の頃からずっとバスケを続けていて 中学部の頃には都の代表に選ばれた事もある 当然、高等部にあがった今でもバスケを続けていて 一年生ながらチームのエースとして活躍している その大樹が先日、NYで開催されたバスケットの親善試合に参加していた そのバスケの試合から話しが始まる 普段は足音一つ響かない廊下に慌しい足音が響いて俺の書斎の前で止まった 何事かと目を通していた書類から顔を上げ椅子ごと振り返ると ノックもせずにドアが開き入ってきたのは青ざめた表情の妻がだった 「総二郎さん!」 「慌ててどうしたんだ?」 椅子から立ち上がり妻の元へと歩みよると 妻が震える手で一枚の写真を差し出した 「これがどうかしたのか?」 写真は大樹のもの 集合写真のようで15人ほどの人間が写っている 「これ・・先週の親善試合の時の写真なんですけど・・」 「ニューヨークの?」 「えぇ・・」 写真に写っているのは全員10代の人種もさまざまの男の子達 この大会は東京都と姉妹都市提携を結んでいるNYとの間で毎年行われている 開催地を東京とNYを一年ごとに変え共に高校の中から選手を選抜し 互いの理解と友好関係を深めるためにバスケットの試合が行われている 今年の開催地はNY 東京の選抜メンバーの中に大樹が選ばれ参加していた 「ここ・・見てください・・」 妻が指指した場所に写っていたのは・・ 「・・これは・・」 「似てるでしょ・・?」 「・・ああ・・そっくりだ・・」 「総二郎さん・・この人って・・」 「待て!他人の空似だって事もあるから決め付けるな!」 「・・でも・・」 まだ何か言いたそうな妻を制して大樹を呼ぶように言った 妻が大樹を呼びに行ってしまった後、俺は椅子に座り直し 写真の中の男を見つめる 写真の中でまっすぐにこちらに挑みかかるような挑発的な 視線を向けている男 身長は大樹が175cm程のはずだからそれから比較して 180cmを少し越えているぐらいだろう 薄い口唇に彫りの深い目元、そして何より特徴的なのは その髪型・・ウェーブのかかった髪で色はあいつより少し黒いが 写真の中の男は俺の親友にそっくりだった・・・ 他人の空似かもしれない 現に俺は高等部の頃、あいつにそっくりな男に会っている これは後になって思った事だが、この時の俺は必死になって 自分に言い聞かせようとしていただけなんじゃないのかと・・ 自分の中に浮かび上がる万に一つの可能性を何とか否定する理由を 探していただけなんだと・・ だけどどんなに否定してもしきれない まさかと言う懐疑的な思いと裏腹にもしもという 万に一つの可能性に期待する思いも俺の中には確かに存在していた もしも・・この子が司の血を引く子供だとしたら? もしも・・この子が道明寺と関係のある子供だとしたら? もしも・・この子が・・ いや・・今はまだこの先は考えるのをやめておこう・・ 手にした写真を見つめたままプツリとそこで思考を途切れさせた タイミングで大樹がやって来た 大樹はドアから顔だけを出し 「親父?呼んだ?」 「ああ、入ってドア閉めろ。」 大樹は言われた通り中へと入り後ろ手にドアを閉めたが ドアに背中を貼り付けたままで 「何か用?俺なんかした?」 「いいや、お前に聞きたいことがあるだけだ。  この写真だけど・・」 「写真?」 そう聞き返した大樹はドアから背中を離し 側まで歩み寄ってきた 「これってこの前のNYの試合の写真だけど、  これがどうかした?」 「この中に写ってるこいつ・・名前知ってるか?」 「え〜っと・・確かみんな"たく"って呼んでたけど。  この人がどうかしたの?」 「話ししたか?」 「少しだけね。でもこの人、相手側のエースですっげぇバスケ上手いんだぜ!  試合にはプロのスカウトも見に来てたって噂だった。」 「そうか・・こいつのフルネームとか学校名とか分からないか?」 「どうしたの?親父、この人知ってんの?」 「いや・・ちょっとな・・」 「ふ〜ん、まっ、どうでもいいけど、  その試合ん時に参加してたメンバーの名簿だったら持ってるぜ。」 「それ見せてくれ!」 「分かった。取ってくる。」 名簿を取りに部屋へと戻った大樹はすぐに戻って来た 「これ。」 俺に名簿を手渡すと 「俺、今から出かけるけど、  母さんには上手く言っといてね。」 それだけ言うと大樹はあっさりと出て行ってしまった 俺の手元に残されたのは写真と名簿 名簿に目を通す 英語で書かれている名前を目で追っていくと すぐに見つかった・・ "TAKUYA・MAKINO" 無意識のうちに写真と名簿を掴み屋敷を飛び出していた 車内からあきらに電話をかけ、 ちょうど屋敷に居たあきらに今から行くとだけ伝えると電話を切った エンジン音だけが響く車内で言いようのない不安に包まれていた・・ 何年経っても相変わらずのバラのアーチを抜けるとあきらが出迎えに出てきていた 「よっ・・」 「おう!どうしたんだ?」 「何が?」 「いや、いきなり電話してきたかと思ったら、  今から行くってだけで電話切られたから何かあったのかと思ったんだよ。」 「ああ・・そうか・・」 「まぁ、入れよ。」 俺の普通じゃない様子を感じ取ったのか あきらが俺を通したのはいつものリビングではなく あきらの書斎だった 「今、桜子が遊びに来てんだ、ここの方が邪魔されないで落ち着くだろ?」 などと言いながらあきらは自分のデスクの椅子に腰を下ろし 俺も近くにあった椅子を引き寄せ腰を下ろした あきらと対峙するように正面に座ったが いざとなると何と切り出していいのか分からず、 俺は黙って写真と名簿をあきらに差し出した・・ 写真と名簿を交互に眺めていたあきらだったが すぐに表情は厳しいものに変わった 「お前・・これ・・」 「確証はない・・他人の空似で苗字だって偶然かもしれない」 俺はこの時、あきらにどんな答えを期待していたのだろう? もしかしたら"そうだよな、そんなわけねぇーよな!" と笑い飛ばして欲しかったのかもしれない・・ この子が司と牧野の子供だなんて"ありえねぇーだろ!?"と 笑い飛ばして終わらせて欲しかったのかもしれない・・ 名簿に書かれていたのは"TAKUYA・MAKINO"という名前と NY市立のハイスクールの名前と11年生だという事だけ・・ 11年生・・日本で言うと高校二年生 17歳という事になる 17年前・・この子供がこの世に生を受けた時 司は結婚していた 牧野に別れを告げた翌週には婚約が発表され その半年後には式が挙げられていた NYで行われた式にはみんな参加していた 豪華で荘厳だが互いの家の面子を保つだけの式で 表情を崩さないままひな壇に座る司に俺達は みな数年後の自分を重ね合わせていた その後、ずっと司がNYに居るということもあって しばらくは疎遠になっていたが・・ 正確には司が結婚していた5年間は全く連絡は取っていなかった だけど俺達は知っている 司は結婚していた時も離婚してからも牧野だけを想い続けている事を 司の結婚式から一年後、牧野の親友だった優紀と結婚した俺 俺から遅れること半年、滋と結婚したあきら そして司の結婚式に出席したその足でパリの静の元へと旅立って行った類 類はあの時、静に何を求めたのだろうか・・? 俺達の心の奥に刺さったままの小さな棘は今も抜けないままで其処にある・・ 俺達はみなもうすぐ40歳になる 人生の半分を来てしまった・・ それぞれが責任ある立場に立ち いい意味でも悪い意味でも大人になってしまった もうあの頃のようながむしゃらさは無い 嫌と言うほどに経験してきた現実の社会 それでも俺達は諦めたわけじゃない この心の奥の微かな痛みがその証だ 「総二郎?優紀ちゃんはこの事知ってたのか?」 あきらの声が微かに掠れている・・ 「いや・・この写真は先週、大樹が撮ってきた物で、  それを優紀が見つけて俺に持ってきた。  優紀も驚いてた・・」 「そうか・・それで優紀ちゃんは・・」 「ああ・・そう思ってる・・」 「そうか・・」 「確かに似てるな・・司に・・  それにどことなく牧野にも・・」 「ああ・・」 「お前、これどうしたいんだ?」 「・・分かんねぇーよ!  どうすればいい?このまま何も見なかった事にすればいいのか?」 「そんな事・・俺もお前も出来えねぇーわな・・」 「・・ああ、出来ねぇーよ・・」 「一応、調べてみるか・・?  お前、はっきりした事が分かるまで優紀ちゃんには黙ってろ。  俺も滋と桜子には内緒にしとくから。」 「・・分かった。」 その言葉を最後に俺はあきらの屋敷を出た 車は呼ばず歩き始める 陽が傾き始めたとわいえ、まだまだ気温は高い 纏わり付いてくるような湿気を溜息で払いながら 遠くに蝉の声を聞いていた・・ 一週間後、あきらから結果が出たとの知らせを受け、 優紀と共にあきらの屋敷に向かった・・ 屋敷のリビングに久々に顔を揃えたメンバー あきら、滋、俺、優紀、桜子に類 このメンバーが全員、揃うのは数年ぶりだった               
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